2021.09.24
【天王寺駅前】「障がい」について考えてみよう②
こんにちは。ミライエ天王寺駅前のスタッフです。
いつもスタッフブログをお読みいただきありがとうございます!
さて、今回は「『障がい』について考えてみよう」の第2回です。
前回の投稿では「障がい」とは社会の中で感じる「生きづらさ」や「困難」のことであり、その原因は社会の仕組みにあるというお話をさせていただきました(障がいの「社会モデル」)。
今回は、なぜ「生きづらさ」や「困難」の原因が社会の仕組みにあるといえるのか、いわば社会モデルの根拠について掘り下げて考えてみようと思います。
最後までお読みいただければ幸いです!
↓前回の投稿をまだお読みでない方は、ぜひそちらからご覧になってくださいね。
スタッフブログ
【天王寺駅前】「障がい」について考えてみよう①
https://miraie-cuoread.jp/blog/post-4635/
なぜ「生きづらさ」や「困難」の原因が社会の仕組みにあるのか
繰り返しにはなりますが、社会モデルでは、「生きづらさ」や「困難」という「障がい」の原因は社会にあると考えます。
なぜこのようにいえるのでしょう。
言い換えれば、社会で生きる中で「生きづらさ」や「困難」を感じる人が出てくるのはなぜなのでしょうか。
私は、その理由は、
無自覚のうちに、社会の仕組みが多数派に合わせてデザインされているから
だと思います。
どういうことなのか、「利き手」という身近な例で考えてみましょう。
社会には、様々な属性で区分された集団があります。そして、その集団にはどうしても「多数派」と「少数派」の別が生まれてきます。
「利き手がどちらか」というのも、社会の中で集団を区分する属性のひとつです。右利きが多数派で、左利きが少数派ですね。
ここで、右利きの皆様は、生活上の色々な場面において、社会の仕組みや物が右利きの方が過ごしやすいようにできている(裏を返すと左利きの方が過ごしづらさを感じている)ことにお気づきでしょうか?
例えば、身近な左利きの方に左利きであることで感じた生活上の苦労を伺ったところ、以下のような意見がありました。
・レストランのカトラリーの並べ方が右利き仕様で、食事の前に入れ替えなければならず手間を感じる。
・利き手でおたまを持つと、注ぎ口が手前に来なくて扱いづらい。
・自販機のお金の投入口が右側にあり入れづらい。
・横書きで文字を書くのに苦労する。特に黒板やホワイトボードに書くときは気を遣う。
このように、身近な「利き手」という例をとってみても、改めて意識してみると、社会の仕組みが多数派に合わせてデザインされていることが分かりますね。
これと同様のことが「ある障がい特性の有無」という視点から社会を観察したときにもいえるのではないでしょうか。
国の統計によれば、身体障がい、精神障がい及び発達障がいの特性をお持ちの方は、全人口の約7・4%だとされています。約13人に1人という少数派ですね。
その他の約92.6%の「障がい特性を持っていない」とされる多数派に合わせてデザインされた社会の仕組み、そのしわ寄せが「障がい特性を持っている」とされる少数派に押し寄せている。
これが「生きづらさ」や「困難」の原因が社会の仕組みにあることの正体だと思います。
誰しもが「障がい」を抱えうる
これまでの事をまとめると、「障がい」とは次のように定義することができます。
多数派に合わせてデザインされた社会の仕組みに起因する「生きづらさ」や「困難」
「障がい」をこのように解釈すると、誰しもが「障がい」を抱えうることになりはしないでしょうか。
なぜならば、ある人が社会における集団のうち多数派に属するか、それとも少数派に属するかは、どういった視点から社会を観察するかによって容易に変わりうるからです。
「障がい」とは何かを考えたとき、誰しもが当事者になりうる。そうであれば、社会モデルにおいて社会が負っているとされる生きづらさや困難を解決すべき責務は、当事者である私たちひとりひとりの責務になるのではないでしょうか。
私は、そのように考えています。
おわりに
このブログでお話した「障がい」についての考え方は、あくまでもひとつの解釈にすぎません。
「障がいとは何か」という問いに常に正しい答えなどはなく、ひとりひとりがそれぞれに考え、たどり着くべきものであると思います。
このブログが、「障がい」について考えるきっかけになればとてもうれしいです。
長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは!